今回は
『石ころと人類の深い関係』について
ふと思ったことから 気になったことや 知ったことを 私的な興味として書こうと思います。
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石ころ。
ものすごく身近すぎて、普段は空気並みに気に掛けない。
こどもの頃は、足元に転がる面白そうな小石をよく探していたけれど。
今は、つまずいて初めて足元の石に気が付くといった具合に気に掛けることはない。
改めて意識すると、石はどこにでもある。
自分の今の生活において、その価値を直接的に感じることは少ない。
じゃあ、なんで、石ころが気になったのかというと
最近TVで古代遺跡の番組を見る機会が重なって、あれ?そういえば...とふと気がついた。
今まで何の疑問もなかったけれど、
古代の遺跡って 『石』 が多くないかい??
古代人にとって、石とは何者なのだろう。
遺跡は、過去の人々の生活の痕跡がまとまって残っているものだから、
当たり前といえば当たり前だ。
人類の歴史をたどれば、石なくして人の営みは成立しないと言っても過言ではないくらいだ。
旧石器時代→新石器時代と長いこと狩猟採集して暮らしていて、農耕社会でもしばらくは石ころと共に生活していたわけだし。
石の分かりやすい価値として、「硬い」ことが挙げられる。
ヒト以外の動物でも石の硬さを利用して、木の実を割ったり貝を割ったりしている。
身近にある物理的に最も『硬い』ものが石ころだったから、手にしたのだろう。
それ以外にも『燃えない』『蓄熱』『重い』『種類がある』『壊れにくい』なども石の特徴として考えられる。
それで、
ヒトのすごいところは、生活に『石』を利用したことにあると思った。
狩猟の道具・調理用具・建材・武器・農具などを作り、いつしか人類の生活に溶け込みなくてはならないものとなった『石ころ』。
ヒトの生活に直接的に深く関わっているから、『石ころ』の価値は絶大だ。
それに加えて、
彫刻や崇める対象物としての抽象的な価値もあった。
岩石は、ヒトが誕生するずっと前から存在し、ヒトの人生よりも遥かに長い年月大きく風化せずにそのままあり続ける。
そんな『石』の性質に、超越した神秘的なものを感じたのだろうか。
万物がなし得ない「未来永劫」や「永久」を投影したのかもしれない。
実際に、「永遠の象徴」的に見られていたようだし、それにあやかろうと無謀にも石に入っているある成分を飲んで中毒症状で大変なことになった人もいるとかいないとか...
なんというか。。自然の秩序は変えられないからさぁ。人間の業の深さって恐ろしい~。
岩石だって例外なく、永久はない。
ヒトよりも、ずっとゆっくり流れる時間のなかで、確実に風化して行くモノだ。
まぁ、とてもゆっくりだから、古代遺跡として残りやすかったわけだよね。
そうそう。
世界中の古代遺跡の中には
ただただ岩石をランダムに置いたわけではないものがある。
わざわざ重い岩石をそこまでヒトの手で移動させて、意味あってそう並べたのだ。
当時の並べた人に直接聞けないから、専門家の調査から推し測るのだけれど、
結構”あるもの”と共通しているから、すごいなとホントに感心してしまう。
世界中に立つ古代の石たち。
たとえば、
・イギリスのストーンヘンジ
・アイルランドのボイン渓谷のニューグレンジ
・メキシコのチチェン・イツァやテオティワカンのピラミッド
・エジプトのピラミッドやアブ・シンベル神殿
・イランのペルセポリス
・ハワイのバースストーン
・八重山の星見石
【画像】星見石(竹富島)/©Paipateroma
等々
イギリス諸島で900ヶ所以上、ヨーロッパ各国には5万以上のサークルストーンや巨石建造物があり、日本でも北海道や東北地方に多く見られるという。
こうやって画像だけでも並べると、ちょっと世界へ旅した気分になれるから、心も弾む。
ー後編ー へ つづく
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長くなったので、前編はこの辺りで。
石ころと人類の深い関係ー後編ーに続きます。
またね☆ミ
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