#8石ころ×人類の深い関係ー後編ー
前回(#7)からの続きで
『石ころ×人類の深い関係』
にプラスして『星』との関わりついて書いていきます。
では、続きをどうぞ。
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世界中に立つ古代の石たち。
サークルストーンや巨石建造物など、古代の人は目的があって石や岩を置いていたわけだが。
ー前編ーであげた巨石や石たちに共通して言えるのは...
『星』を読み、暦を知ることだ。
カレンダーや時計が発明されていない時代、天に輝く星々を目安に季節の変化に備えた。
今よりもず~っと自然の側で自然と共に暮らした人々にとって、昼夜や季節の変化は、衣食住や生命活動にダイレクトに関わる。
そう考えると、ヒトもちゃんと生物なのだ と改めて思い知らされる。
時の巡りの中で、少し先の見通しが持てたのならば、心の構えができる。全くの無知よりは少し余裕を持って暮らせるはずだ。
「未来」について想像できるのは、ヒトのすごい能力なのだけれど...このせいで不安になって悩んでしまうわけだから、ほどほどにしないと自滅する。気を付けたいなと思った。
さて、話しを少し戻すと
生き抜くために、身近な自然の変化を知ることが重要で、そのための大きな手掛かりとして、星を読み始めたのだろう と予想が付く。
星読みは、継続的な観測が必要で、その膨大な記録を残すための媒体も必要で、利用していくための方法も必要だ。
古代だから、記録を伝える手段は口伝えが主流だろうけれど、膨大な観測記録から見えてくる”日の流れ”や”季節の変化”の目安を 目で見て分かるようにしなければ、せっかくの知恵も使えない。
そこで、古代では身近っにあった『石』を活用したのだろう。
ずっと残すのを目的だとすると、確かに石の性質上、それが堅い選択かもしれない。
当時あったどんな素材よりも、風化に強くて風でも飛ばない、動きにくくてほぼ変わらずそこに鎮座できるから。
石で不便なことがあるとしたら、どこにでも持ち歩けないこと(携帯できな)と、広い場所が必要になることだろうか...
そういえば、星を読むための巨石建造物やサークルストーンなどが置かれている場所って、
だだっ広い何もないところにポツンとあるイメージだ。(実際に訪れていないところがほとんどだし、現代では大分周囲の環境が変化したのだろうから、あくまでもイメージの話し)
例えば、ストーンヘンジ。
何もないところに巨石がポツン。生活感の感じられないその景色は不思議すぎて、神々しくも感じるだろうし不思議なパワーがあるに違いないと期待もしてしまうだろう。実際どうなのかは個人の感覚なので詳しくはわからない。いつか訪れることがあればどんなことを感じるのかなぁ。
他には、ハワイのクカニロコのバースストーン。
やっぱり、周囲はだだっ広い。王族の出産の場所で神聖な場なのだが、ここの石で航海のための星を読む勉強もしていたらしい。ここは訪れたことがある。確かに、ここの空気感は厳かだった。
観測するにはいつも「同じ場所」から「動かないもの」などを目印にして、継続して観測しないと記録が取れない。
もし私が星を読むために、観測に必要な目印を作るとしたら...
①生活圏だけど人里を少し離れた場所 (灯りのない方が良いから)
②空が開けただだっ広い場所 (地平線から半球をぐるりと見渡すため)
③侵略されにくそうな場所 (壊されたくないから)
の場所を選ぶかなぁ。つまり、星がよく見える場所だ。
目印の建材も、
①簡単に動かないもの (重い)
②長い年月で変化しないもの (壊れにくい)
③目印となるくらいの大きさ (遠くからでもよく見える)
と考えると、やっぱり『石』だよね。
なるほど。不思議な石たちが『星読み』のために置かれたのならば、
石の周辺が、何もないだだっ広い環境なのは必然で納得がいく。
そういった場所で夜空を見上げると、「宇宙が近い」と表現するのを見かけるから、
やっぱり古代の人が、天体観測のためにその場所をわざわざ選んで設置したのだろうなと感じる。
広い場所にポツンと建つ巨石の不思議な感じも、多方面から想像して考えてアプローチをしてみると、他のものが見えてくる。
結局、真意や正解は解らないから、そこは重要じゃなくて、
不思議の中に想像できる余地が沢山あって、その部分を少し深く考えたり思いを馳せられる面白さがあることは、私にとってはとても面白い。
あーでもない こーでもない 思考の旅は自由だから。
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『石』×『人類』×『星』の関係を”人類より”の見方で想像して巡ってみました。
次回は、少しだけ”科学や天文より”の見方で『石と人類と星の関係』を見ていこうと思います。
またね☆ミ