前回(#10)の続きで、
『お茶』への想いと『鉄瓶』への想いを綴っていきます。
**************************************************
緑茶は前回綴った通りだが、
紅茶もトッピング関連(香り付け・ミルク・スパイス・バターなど)が豊富でそれぞれの地域で親しまれているし、
烏龍茶も奥深い。
『お茶』に思うことは、
よくぞこんなに多種多様な飲み方があって、世界各地に広がったなぁという驚きだ。
茶葉は軽いから運び易かったとか、長期間でも腐りにくかったんだろうな。
お湯があれば、だれでも簡単に大きな失敗なく淹れられるのもよかったのだろう。
確かに、商売に向いてそうだよね。
最初は、皇帝とか貴族の嗜好品だったらしいけれど、
湯を淹れるだけでよい香りを味わえる手軽さは、民衆に流行らないわけがない。汗水流して働く民衆だって、暮らしの中に少しの楽しみは必要だもんね。
今や、水に次いで『お茶』は世界中で広く飲用されている。
多くの人の手に渡りながら広がっていった『お茶』。
流行って廃れるものも沢山ある中で、
地域の好みに合うように柔軟に変化しながら、
今もなお、多くの人々の日常の中にアル。
自由度の高さと拡散力と定着力が凄すぎる。
個人的に思う『お茶』のすごいところは、
どんなシチュエーションにも空気感を邪魔せずに、一瞬でホッとひと息吐くことができる魔法のような飲み物だということ。
1人でも、仲間と集っている時も、家の中でも、職場でも、旅先でも、どんな情景でも。瞬時に緩み、静かに我に還るひと時は、何とも言えない心地良さだ。
そりゃあ、世界中に広まらない理由はないよ。感服です。
さて、『お茶』には ”湯” が欠かせない。(水出し茶は別だが)
湯を沸かすための道具が必要で、お茶と共に茶器も広まり、これもまた時代と共に変化しながら今も生活の中に溶け込む。
ヤカン、電気ポケット、鍋など湯を沸かす道具は沢山ある。沸けば何でも良いと思う。
ホント何でも良いけれど、『鉄瓶』で沸かしたお湯は美味しい。
『鉄瓶』日本が誇る伝統工芸品で、海外では色を付けたものが人気らしい。
かなりポップだ。
ヤカンの仲間だと思っていたら、歴史的には江戸時代に茶釜から派生したもので、
ヤカン(薬缶)は古くは中国にあった銚子という加熱器具が派生で、生薬を煮出すのに使っていたらしい。
出所が違うのに、似たような形になるから、
湯を注ぐためのデザインとしては、
釜に口と鉉が付いたものが揺るぎないベストな形なんだろう。
『鉄瓶』で沸かしたお湯は、
角が取れて、まろやかで、優しく柔らかい口当たりになる。お茶の香りも邪魔しない感じだ。
鉄瓶自体は重厚感もあって、年々表情が少しずつ変化して行くのも愉しい。
大雑把な私でも取り扱えるくらいだから、そんなに管理も難しくない。
水を入れて、火をかけて、蓋をほんの少しずらしておく。
沸くまでには割りと時間が掛かる。
すぐにお湯が欲しいときには向かないが、
10分くらいの間に他のことをやりつつ気に掛けておけば、そんなに苦じゃない。
沸騰してきたら、蓋を開けてしばらく眺める。空気や水の流れとかがお湯の中でしっかり循環している状態(イメージ)を私はしばらく眺めているが、水道水ならこの時にしっかりカルキが飛ぶはず。
湯が沸くまでのちょっとした時間。
『鉄瓶』を観ながら じーっと待つこともある。
”湯を沸かす”って、いつからやっている行動なんだろうか?なんでヒトは湯を沸かしたんだろう?
絶対にこたえが解けない素朴すぎる疑問。
ヒトが、火と土器を使えるようにならないと成り立たない行動。
たぶん最初は、料理のために材料を火にかけたはず。
生食か焼くだけの調理法から、煮炊きが加わって食べられる食材が増えたらしい。でんぷん質のイモ類や木の実なんかもそうらしい。
食べ物が多様になるのって、生物としてみても かなり繁栄する能力が高いなぁと思う。
古代の人が、”水を沸かして飲む”のってイメージが薄い。
貴重な水が、蒸発して量が減っちゃうから。
でも、厳しい冬の時期に火にかける物が”水”しかなかったら、暖を取るために白湯を飲むか...。
それで、煮沸殺菌されるから安全な水で、身体も温まりシンプルに臓器に染み渡る感覚も良かったのかもしれない。
驚いたのは、
中国の方は、『お茶』より『白湯』をよく飲む文化だということが意外だった。
寒さと、殺菌と、陰陽など伝統医療の考え方と、国の情勢などの背景があって、日常的に『白湯』があるらしい。
日本も貧しかった時代の民衆は、”湯のみ”で『白湯』を飲んでいたとか。
『お茶』一杯の息抜きですら、贅沢とされる時代があったとは、涙が出る。
お茶を淹れるまでのちょっとした時間に、少しだけ思いを馳せてみた。
そうだ。
『鉄瓶』の魅力をまだ綴っていない。
これは、なんというか、フォルムがすごく好きなのだ。
2、3歳の頃、保育園にあった砂場のおもちゃにプラスチックだけど茶瓶のような形のものがあった。その形が好きすぎて、お気に入りだったのを覚えている。それで、茶瓶型のおもちゃに砂を詰めて、持ったまま滑り台へ。すごく混み合っていた。ぎゅうぎゅう押されながら頂上へ行って滑る順番を待っていたら、更にぎゅうぎゅう押されて、ついに柵の隙間に押し出され落下した。気付けば茶瓶のおもちゃを持ったまま、地面がそこにあった。茶瓶のおもちゃを離せば良かったのだろうけれど、コレだけは絶対離さない!と思ったんだよね。頑固だ。幼い頃なのに記憶が結構ハッキリあるから面白い。
とにかく、物心付く頃にはあの形がすごく好きだった。
大人になった今でも変わらない。
急須や土瓶やポットやケトルを観るのも楽しい。
どストライクな一品。
『玉川堂』さんの”湯沸”は、目打ちされた銅製で、ため息が出るくらい美しいく完璧な茶器だ。どれを見ても惚れ惚れする。本当に素敵すぎるし、叶うなら、いつか欲しいとも思う。
『玉川堂』さんのも銅器も素敵なのだが、やっぱり鉄瓶も好きなのだ。
同じ形なら...
陶磁器製より金属製のもの。
取っ手は上部に付いた”つるすタイプ”のもが好きだ。
程よい丸み。
小さすぎず大きすぎずのサイズ。
暮らしに馴染む黒色とあられ模様。
使うほどに育つ道具。
ネットで見てると、どれも素敵できりがない。
時間が経つのも忘れて見入ってしまう。
鉄瓶茶瓶シリーズのカタログとかあったらほしい。
なんなら自分で『鉄瓶』を作りたい!と思うくらい好きなのだ。(作れないけれど...)
はっきり理由はわからないけれど、
私にとって『鉄瓶』は、それほどの魅力がありつつ、
でもやっぱりナニかよくわからないものなのだ。
**************************************************
『鉄瓶』も『お茶』も深く知ろうとすると果てしないものがあります。
それだけ長きに渡り人々の暮らしと共にあったものだから、
奥深さもあり、楽しむ幅も広く、様々な面白さがあるのだなぁと感心しました。
が、
歴史的文化背景や科学的な見解では論破できないほどに、
『お茶と鉄瓶』に心がわし掴みにされていることは、どうにも説明がつきません。
本当に単純に
『鉄瓶』も『お茶』も最高だ!!
ということです。
またね☆ミ
↓その他の好きなものシリーズ編↓