#18棚上げだって時には大事
棚上げという言葉は、あまり良い意味で使わない気もしますが、時には案外良い仕事をしてくれたりもします。
たまには意識的に棚上げを試みるのも、日常の中での満足感を得るための、きっかけになるのかもしれない!?そんのお話しです。
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棚上げ。
物事を先送りにしたり一旦保留にしたり、
棚上げ状態の時ってスッキリしない。
気持ちも落ち着かずハマりが悪い感じが苦手だ。
パズルの真ん中あたりのピースが数ヶ所見当たらず歯抜け状態で置かれているような感覚に近い。
または、
解けそうで解けない数学の問題に向き合っているときにも似たソワソワ感もあり落ち着かないのだ。
これはもう、性格的なものと環境も大きい。
思い起こせば、こどもの頃の習慣。
例えば宿題。帰ったら直ぐに取り掛かり遊ぶ前に終わらせる。我慢の先にある楽しみのために、とにかく面倒事はさっさと終わらせる戦法。
何かと使えるこの戦法。
大人になっても、仕事や家事でも大活躍だ。
やらなきゃならないことは持ち越さず、頼まれ仕事は優先してやった。
その結果、
悪い評価はないし、自分自身もスッキリするし、なんなら上手くやってのけたという達成感がある。
だから、 何の問題もないさ~。
で、しばらくやってたけど。。
!!!???
ちょっと待って!
問題あるよ!大有りでしょぉ!
後回しにした楽しい事は、ちゃんと回収できていますか!?
やる事や周りを優先して、しすぎていつも自分の事は後回しばかりじゃないですか?
キャパオーバーになっても、
力で押しきるみたいに自分を我慢させて、またやらなきゃならないことを優先して、目の前の事だけに忙殺されて、自分に追い込みを掛けていませんか?
特に役割がある場合、役割が優先になってしまうのは仕方のない部分もあるけれど、違和感が少しでもあるなら、気のせいだと見て見ぬふりはしない方がいい。
厄介な役割。
例えば、母親という役目。
『母親なんだから○○。』
脈々と受け継がれる自己犠牲の美徳や、責任は母親にあるとばかりに責め立てる厳しい世間の目。
無意識に刷り込まれた『母親は○○であるべき』的な理想の母親像と現在の自分を比較して、自己嫌悪に陥る。
そんな狭間で、初めての育児であろうとも、初心者だから大目に見ようなんてないわけだから、子育てのプレッシャーは凄まじい。
とてもじゃないけど、生きやすいとはいえないね。
母親役以外も、妻や夫、お姉ちゃんやお兄ちゃん、男や女、独身や家庭持ち等々、役割や立ち位置が割に合っていない事がある。
誰かの都合で押し付けられる暗黙のポジション。
"○○なんだから~"という言葉の背景には、型にはめ込み、過剰な責任感を植え付けて、都合良く動かすための"呪い"も隠れている気がしている。
役割を優先して、過剰にグッと堪えて生活を続けていたら、大人でも心が消耗する。
自分の事を棚上げにしちゃって、、いつの間にか心の中が空っぽの状態。
早く気づいてあげてほしい!
無意識の習慣は、当たり前化してるから気付きにくいけれど。
なんともいえない不満足感が抜けなくて、
なんかモヤモヤするかも!?って思っていたら、棚上げするモノを変えることもも一つの手だ!
ど~しても、やらなきゃならない事意外は、ちょっと棚上げして、
ほんの少しでも空いた所に、自分の事を棚から下ろしてみてはどうだろう?
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長くなったので、この続きは後日。
またね☆ミ