とりわけ役立つわけではないけれども~holoholohoi!~@waiilele北本ロミロミ

ちょっと一息つけるような 日常のような非日常のようなお気楽なブログ

#17ホタルと環境問題の中で生きること

 

今回は、ホタルを見て思った事を綴ります。

 

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梅雨も明けた夏の頃、夜のお出掛けのひとつで ヘイケボタルの観察が例年のイベントになりつつある。

 

ゲンジボタルは6月頃。もう15年以上前だけど、川の上流の方へ見に行った思い出がある。

蛍光の黄緑色が光っては消え、残光が闇夜に曲線を描く。ピカピカと結構な数が舞っていた。清流の涼しげな音ともに幻想的な景色だったなぁ とぼんやりとした記憶が浮かび上がる。

 

ヘイケボタルは7月頃が見頃で、

蒸したと暑さの残る夜の湿地で観察する。

昔は田んぼでも見られたらしいけど、人間側の事情で環境も変化してるから、数は減っているようだ。

 

夜の森は昼と違い木々が迫りくる。結構な迫力だから、草むらがカサッとなっただけで、ウワッ!?と驚くし、足元に細長い影を見ようものなら飛び上がる勢いだ。。普段より五感がかなり鋭く働き警戒状態になっているのだから、まるで肝試しだ。

 

ドキドキしながら、でも騒がず静かにポイントまでたどり着き、しばらくするとポワンと小さな光が浮かび上がりスーッと消え、気のせいかと思う間に、また光っては消える。

 

気が付くと辺りにはいくらかホタルが集まっている。

静寂のなかでの光り。闇夜で繰り広げられる小さなインパクト。

しかし、星の輝きとも違い、ずっと不規則で生き物らしくゆらぎ動く。その残光はなんとも儚い。

ひと夏の刹那的なホタルの演舞を見ていると、不思議な空間に居るような...幻想的でもあり情緒的なひと時なのだ。

 

ホタルの成虫の命は約2週間。儚いなぁ。人間の寿命も地球の歴史からしたら儚いのだけれど。

 

セミは5年とか10年くらい土の中で、地上に出てからは1週間ちょっとくらいだったような。カブトムシもクワガタも幼虫の期間の方が断然長いよね。。

 

夏の虫って、徐々にというより、そこに向かってものすごいパワー溜めておいて最後の最後にバンッ!と出しきって終焉な感じが多いのかな?

産卵とか孵化の時期的に考えて命を繋ぐためにそういう戦略を取ったのだろうか。

 

昆虫事態の一生のサイクルが哺乳類に比べて短いよね。

 

とにかく。

 

命あるかぎり 生き抜く。

その時まで、全力で 今を生きることに 全うする。

 

自然界に生きるものたちにとっては当然で必然なこと。

余計なことは考えないし、持ち合わせないシンプルさ。

 

潔さすら感じる。強いなぁ。

 

 

ところで、

地球上の生き物の大半は季節を巧く利用しながら生きている。というか、命を繋ぐためにそうせざるをえない。

 

その環境の下で生きることが前提で種が成り立っているから、大きな環境の変化は辛い。

 

様々な環境問題点が浮き彫りになるなかで、特に温暖化問題は喫緊だ。

昨今、海水温が1℃上昇しただけでも、天候に大きな変化をもたらして、多くの生き物たちの環境に影響がでている。

たったの20年前でも、その頃とは明らかに様子が変わって来ていることは、数字で知るよりも、リアルに肌で感じている。

 

数字としては小さくても、

地球規模では大きな影響が出ており、種の存続が危ぶまれる動物達もいる。

勿論私達の暮らしも大きく脅かす。

住む土地が沈んでしまったり、深刻な食料問題と飢餓の問題、感染症の猛威などが迫り来る。

 

逃げようにも宇宙で暮らすことはまだ出来ないし、

もし可能になっても、

多様性を育んだ生命のゆりかごである地球以上に暮らしに適した星はない。

 

変化する環境への適応は、何代に渡れば対応できるのだろうか。自分が生きているよりもずっと後だろうというのは想像がつく。

 

そうなると、

適応のための進化より、環境悪化の方が明らかに速いわけで、

つまり、これからは

今以上に、生き抜くのが大変になる。

 

地球の歴史では何度か危機を迎えているのだけれど、

今この時代に生きている私達にとっては他人事ではないのだ。

 

国際的にほ、温暖化と真剣に向き合う感じになっているし、

頭の良い人や様々な企業が知恵を振り絞って環境問題に取り組んでいるのは頼もしい。

そして

微力な自分にできることは、防災の備えや環境負荷を減らすことを、できる範囲で継続すること。

0か100ではなくて、1でも2でも可能なレベルで忘れずに続けていく事だ。

 

*****

ホタルをみて、生きる事を考えてみました。

未来が地球に棲む全ての生き物にとって 明るいものであれと切に願います。

 

またね☆ミ

 

waiilele ~あなたに寄り添うロミロミサロン~
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#16『見通し』と『太陽』~心惹かれる懐中時計から考えた編~

『#15 心惹かれるモノ~懐中時計』の続きです。

#15 心惹かれるモノ~懐中時計 - とりわけ役立つわけではないけれども~holoholohoi!~@waiilele北本ロミロミ

 

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懐中時計に惹かれる、天文時計のデザインが好き、というのを書いたけれど...

実は、他にも

似たような具合で、気になるデザインを発見した。

 

それは、

 

アストロラーベや天球儀

日時計

羅針盤やマリンクロノメーター

 

これらも、なんだか心惹かれる感じなのだ。

多分、デザイン的なもので惹かれている感じする。

どれも共通するのは、

円形で目盛りがあって針がある。一周くるんっと動くような道具。

 

ちなみに...

 

アストロラーベ

。星の高度や位置を知るための天体観測用の道具

。星座早見盤に似ている

。図のように目の前で天体の情報が見られる素晴らしさ

。天球儀はアストロラーベを立体にしたようなもの

。10世紀頃~主に占星術師や天文学者や航海関係者が使っていた

 

日時計

。太陽の動きを利用して、出来た影で時間を知る道具(雨の日や夜は使えない)

。針は天の北極に向け、緯度によって針か文字盤の傾きを変えて使う

。アナログ時計の右回り(時計回り)は日時計に由来しているとの一説も

。色々なタイプの日時計があり世界各地で見られる

。紀元前3000年以上前から使っており古代メソポタミア文明古代エジプト文明に日時計らしき痕跡が残っている

。古代では「時間は神のもの」と考えられていた

。世界中に日時計がある。(ハワイ島ヒロのカラカウア公園にもあってカラカウア王が即位4年目に建てた)

 

羅針盤

。航海用のコンパスで揺れても使えるもの

。緯度を測る

。11世紀に中国の方ではそれらしきものを使っていたらしい

。マリンクロノメーターは航海で経度を測る道具。経度の計算(時間と太陽の位置から計算)には正確に時を刻む精度の高い時計が必要で、18世紀頃から開発が進んだ。

 

調べて思ったのは、懐中時計を含むこれらの道具の共通点がある。

 

共通点①

『目で見て知ることができる』読みモノ

 

*アストロラーベは、年回りや時運を知るために読むもの

*日時計(時計)は、今の時を知るために読むもの

*羅針盤は、自分の今の位置を知るために読むもの

 

『目で見て知ることができる』とは、つまり『見通し』が持てる事に繋がる。

 

これはスゴイ発明だ。

 

『見通し』は『安心』に繋がるもので、『安心』はその先の『冒険』へと繋がる大切なもの。

『冒険』のニュアンスは、経験とか発見とか成長に欠かせないものとかかなぁ。

子育てしていると、『見通し』と『安心感』がいかに成長に繋がるものかがよく分かる。

 

見通しが立たないものは、こどもも大人も誰でも、いつの時代でも不安だ。特に目に見えないことは想像し放題だから尚更だろう。

闇雲に進むのもありだけど、命が関わることなら、やっぱり指針や希望は欲しい。

不安だと、手も足も出ない。どこにも進めず八方塞がりになってしまう。

挑戦するのなら、

その場から一歩でも進みたいのなら、

自分の中に多少なりとも『安心』と『指針』となるナニかが必要なのだ。できればそれは、客観的に分かる方が良い。

 

だから、

今 自分の居る位置が解れば...、

今 の年の流れが解れば...、

今 の時が解れば...、

その先一歩進むぞ!とか、ここまで我慢しようと思えたり、ちょっと戻ろうとか、方向変えようとか、

決断できる。 正解不正解は別にして。

 

私が心惹かれた懐中時計も、アストロラーベ羅針盤やら諸々も、

 

目に見えない"方角" "時間" "時の流れ"を『見える化』したもので、

誰でも客観的に『知る』ことが出来る。

実に、明確でニュートラルな道具だ。

 

そして。

知った情報から『見通し』や、次の一手である『指針』と『決断』に繋がる。

いざ!冒険へGo!

生き抜くためには欠かせない、

神頼みではない "お守り" のような道具だ。

格好いいなぁ~
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共通点②

『天文が関係する計る道具』

 

人が最初に計ったのは 時 だといわれる。

農耕の見通しのために、基準が必要だったらしい。

人は他にも、計る道具と基準を沢山産み出し、その暮らしを大きく発展させていった。

 

計りは文明の母だと言われるくらい、目に見える『基準』というのはパワフルなのだ。

 

私の心惹かれる懐中時計や諸々の道具は、

どれも 地(地球)と太陽 が基準となり、

この世界の秩序を明白にした。

 

"生物"的に見ても、"天文"的に見ても、

更には一見無関係そうな"文明"的に見ても、

太陽がもたらす恩恵は多大で、この地は『太陽』なくして成り立たない世界なわけだ。

 

「時は神のもの」と考えていた古代人。宇宙は人がコントロールできないから、神の領域と想像したのも、うん。納得。


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あとひとつ。今更ながら。。

天文が関係した道具に 無意識で心惹かれていたことに改めて驚いた。こどもの時に何か察知していたのだろうか。

星空を見始めたのは10年前から。もちろん天文マニアではないし、難しい事はよくわからない。むしろ興味もなかった。だから、文字に起こして、

 

あれ?天文関連だぞ!?

 

と気付いて驚いた。

無意識、恐るべし。

なんだかなぁ、

くるんっと一周回って、

自分の無意識に、してやられた。


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*****

 

理由はないけどとにかく大好き!的なモノを、色々掘り下げ調べると、思わぬ発見に繋がって面白いですね。

ではでは。

 

またね☆ミ

 

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#15心惹かれるモノ~懐中時計

 

私の心が惹かれてやまないものシリーズ3つ目。

今回は、懐中時計です 。

 

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懐中時計。

思い起こせば小学生の頃。

近所の雑貨屋さんのショーケースに飾られていた"太陽と月"が 入れ替わる 蓋のついた 銀の時計 。

とにかく それに魅了されて クリスマスには その懐中時計が欲しいと サンタさんにお願いしたほどだ 。

電池式で、動かなくなってから しばらく宝物箱に入れておいたのだけれど、 時も経ち、今はどこへ行ってしまったのか ...

 

 

なぜ そんなに懐中時計が好きなのか。

 

う~ん。よくわからない。

 

記憶の底に何かがある気もするけれど、思い出せるわけでもない。残念。

 

時計事態は特別好きというわけでもない。

時間にこだわりもないし、むしろ時間に縛られるのは苦手な方だ。

コレクターのように、アレもコレもと揃えたいわけでもない。

 

ただ

あの丸みのあるフォルム。手で持つ感じがしっくり来るのだ。

 

そして

懐中時計の文字盤のデザインはかなり好きだ 。

ローマ数字で書かれた 文字盤と、 太陽と月の入れ替わりやスケルトンのものなど、デザインが美しい。

 

そういえば、

プラハの 天文時計。あの感じもすごく好きだ。

お土産に 天文時計モチーフの雑貨が沢山あるらしい!他にもチェコビーズやボヘミアングラスとか絵本やマリオネット、ビールなどなど。 いいなぁ~。

歴史の事は詳しくないけれど、プラハといえば中世ヨーロッパの面影の残る街のイメージ。

中世のヨーロッパは 暗くて 怖いイメージがあるから、少し苦手意識がある。

でも、 プラハの 城下町の雰囲気 やカレル橋など 、気のせいか、ちょっと何か見たことあるような。

こどもの頃からクラシックのスメタナの「モルダウ」の曲調はどことなく懐かしくちょっと淋しい感じで好きだった。

これはもう、いつか行ってみたい国のひとつにランクインだな!


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話しを戻して...

懐中時計は17世紀頃に登場して、それから活躍している道具で、アンティーク感も歴史を感じられる素敵なころのひとつだ。

 

懐中時計は、美しさもあり懐かしさもあり、なんだかとっても心が惹かれるのだけれど...

天文時計も好きなデザインだ。

そして、実は、他にも

似たような具合で、気になるデザインのものがある。

 

それは、

 

アストロラーベや天球儀

日時計

羅針盤

 

あれ。なんか共通点が見えてきたぞ。

 

長くなりそうなので、続きはまた今度。

 

*****

心が惹かれるものを、少し深く探っていくとちょっとした発見に気付くので面白いなぁと思います。

続きは近々。

 

またね☆ミ

 

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#14『ほどほど』って難しい!でも実はシンプル!?【ロミロミ】

『ほどほどに』

 

なんだか、ぼんやりとした言葉だなぁと思います。

ぼんやりとしてはいますが、暮らしの中においては結構大切だなと感じています。

 

似たニュアンスで、

『ほどよく』『バランス』『調和』『いい加減』

などもありますね。

 

今回は

そんな感じの事は大切だけれど、難しいよね~と思ったら、実はそうでもないのかも!?的な

回りくどいお話しです。

 

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ALOHA~☆


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ハワイでよく交わされる挨拶だ。

 

『ALOHA』というを言葉を5つに分解して、1文字ずつにハワイ語を当てる。

そこには、込められた意味があると言われる。

 

  • A akahi 思いやり 優しさ
  • L lokahi 調和(~の中にしっかりと立つ) ハーモニー
  • O oluolu 心地よさ 感情と思考のバランスを取る
  • H haahaa 謙虚さ
  • A ahonui 忍耐強さ

 

ロハスピリットは、

日本で生きる現代人の私にとっても、親しみやすく響くものだし、

温かみと愛ある考え方がとても好きだ。

 

私としては、異論はないくらい大切なマインドだと思う。

 

自分に対しても、身近な人に対しても、常に心掛けていたい。

 

ただ、どれも身近に体現していくのは結構難しい。

中でも難しいのは、『自分自身の”調和”や”バランス”』かなぁと個人的に思う。


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生きていたら、

身体的にも精神的にも、何度もそれらが肝になる場面に遭遇して、身をもって体験する。バランスや調和がいい感じに取れてきた!と思っても、

また異なる場面がやってきて...の繰り返しだ。

 

自分の中の丁度良い塩梅を理解したつもりでも、毎度毎度、ちょっとした調節や更新が必要になる。

 

そして。人生には 青天の霹靂 もある。

考えも思いもしなかったことがたまに起こるのだ。

そしたら、そんな時は

自分の思いとは関係なく、大きく転換せざるを得ない。
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人生、べた凪ぎの時は良いけど、予想できなかった荒天に見舞われた場合、そこでの『調和』や『バランス』はとんでもなく難しいって事は誰だって想像できる。

 

先人達も『調和』や『バランス』が大切なことを伝えているわけだから、この模索は今に始まったものではない。

ヒトが生きる上での何か大きなポイントとなるもので、時代に関係なく、どんな状況の人々にとっても必要なもなのだろう。

 

そう思うと、自分自身の『調和』や『バランス』を模索し続けるのというのは、人間の本質のひとつなのかもしれない。

 

ただ、言葉で表すと簡単そうでも、じゃぁそれって何なのかと改めて考えると...大切なはずなのに、いまいちボンヤリとしてしまう。

 

それに、大切な感覚ならば、自分で舵を取ってコントロールもできるのだろうかと気になってくる。もしできたら、楽に生きられるようになるのだろうか?

いや。そもそもコントロール出来るものなのか?

 

『ボンヤリ感』を深掘りしたら何か気付くものがあるのかなぁ。

 

『調和』や『バランス』を

もう少し聞き馴染みがある口語的な表現にするなら、

『ほどほど(バランス)』とか『ほどよく(調和)』と言った感じがしっくりくる。

 

「ほどほどにね」「ほどよくね」 

と言われても...う~ん?やっぱりボンヤリと曖昧だ。

 

人と比べても答えはない。

自分自身の中のことだから。

残念ながら、近すぎるのでわかりにくい。

知覚しにくい。更に、誤魔化しも利く。

感情や体調や環境ですぐにゆらぐ。正解なんてないのだ。

 

そう考えると、

『ほどほど』や『ほどよい』の感覚って

本当に存在するのか!?と疑うほど、実態が怪しい。

極めて主観的だから、不安定なも仕方がないものなのか...。

 

でも、なんでだろう。

 

主観的で不安定でも、多分みんな無意識で ”探り続けているもの” である。

 

じゃあ、その感覚の背景には何が隠れているのだろうか?

 

 

『ほどほど』や『ほどよく』を考える上で、切り離せないもの ― 。

 

”偏り”

 

暮らしの中で、

”身心や思考の状態” ”生活スタイル” ”取り巻く環境” ”人間関係” "情報" ”食” など

気付けば”偏り”やすいものが沢山ある。

 

大概は”しすぎる”ことで偏ってしまう気がした。(”やらない”をしすぎるのも偏り)

 

私的には、『常にべた凪ぎな日常』が理想的だけど、

これもまた、”偏りすぎ”れば不調和を引き起こすのだ。

 

文字や言葉に起こしてしまえば、簡単に気付けそうな”偏り”。

 

でも、実際は、

気付かぬうちに ちょっとずつ偏っていく。だから、最初は気付かないか、気付いても気にも留めない。

それを繰り返すと、

ちょっとした違和感には気付くものの、誤魔化しが利くから流してしまう。感覚だから捕まえて確かめようもない。なんとなく、モヤモヤがあるとかスッキリしない程度のものなのだ。

だから多分周囲も気付かない。

 

そんなことを繰り返し、

捕まえきれなかった感覚をハッキリ捕らえ始める頃には、

自分の内側で不調和が増していて、色々と表に吹き出してくる。

こうなると、もう誤魔化せなくなる。


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そこで、今までと同じじゃ立ち行かない事を感知し始め、

大なり小なり(意識的にも無意識的にも)『ほどほど(バランス)』を探り始める。

自分にとっての『ほどよい(調和)』を取り戻すために。

 

そう考えると、

『ほどよい(調和)』感覚=『生きやすい』感覚

=つまり、"生命維持"に欠かせない重要な感覚だ。

 

そうか!"生命維持"か!

 

つまり

”偏り”が大きくなると"生命危機"を感じて、防衛的に無意識で勝手にバランスを取ろうとし始めるし、知覚できれば意識的にバランスを取ることもする。しかも、自分自身の中でバランスが取りきれない場合は、環境や他者も巻き込んで大きくバランスを取ろうとする。

 

"偏り"と"バランス"、そして"調和"。

なんか、スゴイ関係だな。

 

いつでも偏れる私達の生命維持装置として、無意識に様々なものが常にバランスを取りながら、適当に良い所で安定させて生きている。こりゃまた、絶妙だ。

 

 

ところで、今ふと気が付いた。

 

『バランス』や『調和』の感覚がぼんやりしすぎて掴みにくい” と思ったのだけれど、

 

ボンヤリでいい!!むしろそれが大事!

 

だってそうだよね。

 

意識が向くと”偏り”やすくなるわけだから、

むしろ、普段はボンヤリしている感覚くらいで丁度良い。

 

だから、わざわざ意識して舵を取って『コントロール』しようなんて、やりすぎる可能性があるから余計な事なのかもしれない。

舵を取らなきゃならなくなった時に意識するくらいで良いのかも。

 

!?

 

 

結局のところ

ナチュラルに、シンプルに、そのままで。

 

とにかく、自分の感覚に耳を傾けながら過ごせていたら、それでOKなわけかぁ。

 


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なんだ... ふぅ~。

 

 

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自分自身をニュートラルにしていく方法のひとつにオススメなのは

『ロミロミ』や『アロマテラピー』です。

 

”偏り”は、身体に出ます。

 

ロミロミで強ばった心身を緩めて、深い呼吸を取り戻してく。

安心感に包まれると、自分のニュートラルな位置(”ほどよい”)に立ち戻ることができるようになってくると思います。

 

本当に”ロミロミ”は緩むので、おすすめです。


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あ。たまには広報も兼ねて。

 

今回は、『バランス』や『調和』について、頭の中でぐるりと巡ってみました。

 

現時点での、私の思った事なので、また経験や歳を重ねるうちに変化があるのかもしれませんね。そんな変化も柔軟に受け入れて、多角的な見方が出来るようになると、面白く感じるものが格段に増えるだろうなと思います。

 

では、この辺で。

 

またね☆ミ

 

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#13『マウイの釣り針』(神話伝説)から探るハワイアンの文化背景

前回↓の続きです。

 

#12夏の星座『さそり座』とポリネシアに伝わる星座神話

 

『マウイの釣り針』からハワイアンの文化的な背景等を探っていきます。

 

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実は、『マウイの釣り針』だけでも地域により内容が違い、バリエーションに富んでいる。

ポリネシア圏の文化が口伝えだったからだろう。

それに、他の地域の島との距離がありすぎて頻繁に交易もできなかったのもあるのかな。例えば、ハワイ語でカヒキ。

「海外の地」という意味で、ハワイ以外の島々のことを言っていたようだ。ポリネシア圏の島々とは言え、海外だと思う程、遠い距離だということもうかがえる。f:id:holoholohoi:20210807213059j:image

 

そんなかんなで、

その地域の中で時代や暮らしに合うように変化したりアレンジが加えられて話のバリエーションに富んだのだろう。

 

ところで。

 

『マウイの釣り針』にはハワイアンの文化的な背景や価値観が反映されている気がしたので、出てきたキーワードをいくつかピックアップして探ろうと思う。

 

【①マウイ】


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ハワイの神話では、波と風を操り、動物に化けることもできる半神半人。母親思いで、人間思いの英雄。ハワイ諸島を魔法の釣り針(マナイアカラニ)で釣り上げたり、暑すぎたから空を高く持ち上げたり、太陽に掛け合って昼間の長さを変えたりした伝説を沢山持つ。

新天地の開拓と土着には、自然との戦いで、計り知れない労力や忍耐が必要だ。

厳しい自然(神)と人々の暮らしを繋げたのがマウイ(半神半人)。

マウイは、神がかった特別な能力を他人を助けるために惜しみなく使う。優しく思いやりに溢れるその人柄は、正にアロハスピリットの持ち主だ。

 

天に輝く『マウイの釣り針』を見上げることで、

先人達(開拓者)への尊敬の意や自然に対する畏敬の念を思い起こしたり、ハワイアンの精神を分かりやすく後世にも語り継いだのかもしれない。

 

 

【②兄たちの人柄】

どんな昔話でも登場する利己的なキャラ。最後に天罰が下る辺りはお決まりの設定だ。

ロハスピリットに分かりやすく欠けていてマナ(超自然のエネルギー的な特別な力)がない。

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③おばあさん

古代ハワイでは一族が集まって暮らしていた。この中で、クプナ達(年長者)が一族を治め、ルールを作ったり、ホオポノポノで家族内の問題を解決したりと、重要なポジションを担っていたので権威があった。


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④魚釣り

魚はハワイアンの日々の食生活において貴重なタンパク源のひとつ。魚によって漁の時期や禁止の時期が決まっていて掟を破ると厳しい罰を受けたといわれる。


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⑤豚

マルケサス諸島辺りから、双胴カヌーで長距離大航海をしたときに、わざわざハワイへ持ち運んだ動物。他にも鶏や犬も乗せて運んだといわれる。豚は養殖されていたが、普段の食卓には上がらない。神様やカヌーを作るために切り倒したの木へお供えしたり、祝いの席で食される特別なものだった。ちなみに食べられるのは男性のみと掟があった。また、豚の半神は神の化身としても登場する。

古代ハワイの文化においてとても重要な動物で、価値が高いものだったというのがわかる


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⑥釣り針

古代ハワイでは、貝殻やクジラや動物の骨等で作っていた。生業の重要な道具。

今では"幸運を釣り上げる"縁起の良いモチーフとしても人気。

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⑦島

「大きな魚をみんなでお腹いっぱい食べた」という話でもよさそうなものだが、なぜ新しい島を釣り上げてハッピーエンドなのか?

 

「価値」⇒「大きな魚」<「新しい島」

  

高度な航海術を持ち太平洋の島々へ移動したポリネシアの民族にとって、新しい島(新天地)への憧れが強かったのか?

 

短期的な喜び(魚を食べる)よりも、後世に残る新たな土地(新しい島)の方が価値のあるものだったのかもしれない。

 

その日その時の暮らしは勿論大事だ。

 

ただ、島の資源は限りがあるから、一族が繁栄すれば、それを支えるだけの土地や資源の獲得先が必要になる。

 

新たな島で、より良い土地を開拓したら、多くの人が末永く暮らしを営んで行ける。

それに、人間思いのマウイの人柄と包括的な視点から考えても、「大きな魚」よりも「新たな島」の方が、

一瞬のパフォーマンスで終わらずに、永く人々の暮らしの幸せに繋がっていくのだろう。


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そう思うと、

『マウイの釣り針』の神話の内容が、なんだか妙に納得できるな思った。

 

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さて、

日本(本州)だと、7月~8月の宵のころ、南の空低めのところで、"マウイ釣り針"の星々が輝いています。(注:ネオンが煌々としていると見えません)

晴れた夏の夜は、古のハワイアンも見上げただろう『マウイの釣り針』を探し、思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

 

 

ではでは。

 

またね~☆彡

 

 

 

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#12夏の星座『さそり座』とポリネシアに伝わる星座神話

蒸し暑い日が続いています。

夜に窓を開けて外気を!と思っても心地好い風は期待できませんね。

最近は木星の輝きが美しいので、クーラーの効いた窓辺から眺めたりもしています。

せっかくなので、

今回は、『夏の星』のお話を紹介しようと思います。


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出典:アストロアーツ

 

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夏の夜、南の空を見上げると、鈍い赤色の輝きの 一等星が見られる。

さそり座のアンタレスだ。f:id:holoholohoi:20210807162736j:image

 

アンタレスは、"アンチアレス"が語源と言われ、火星の赤い輝きと対比されて火星のライバル星として見られている。

 

一等星アンタレスと周囲の星を結んでいくと、 アルファベットの S のような形に星が並んでいるのが見えてくる。

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今から10年くらい前に、ハワイに向かう機内だったか帰りの機内だったか。。座席の小さな窓から さそり座の星の並びを見た。

それはまるでプラネタリウムに居るような、でもこちらが本物の星空で。宇宙空間を飛行しているような、でも重力はちゃんとあって。窓ガラスから目線を外せばすぐ機内だということに若干混乱する。

小さな窓を覗けば、漆黒の空間と星の美しい煌めき。赤く輝きを放つアンタレスの異質さ。Sの形をしっかり辿れることへの感動と、思ったよりもずっと大きくて迫力があるのに、どこか絵のような夜空に張り付いた感じに見えてくる奇妙さ。


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海外に行く時でないと夜間飛行は体験できないから、次にそれを見られるのはいつになるのだろう。

 

さそり座と夜間飛行の懐かしい思い出。

 

さて

さそり座の星の並びのSの形は

日本では、『釣り針』のように見て"魚釣り星" "鯛釣り星"と呼んだ地域もあるようだ。

 

日本以外でも『釣り針』として見ていたのは、ポリネシアの地域だ。

 

そこでは『マウイの釣り針』という神話伝説がある。

 

ちなみにポリネシアというのは、ハワイ諸島イースター島ニュージーランドの3点を結ぶ 太平洋の海域にある島々のこと。


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プラネタリウムで紹介されている『マウイの釣り針』のお話は...ニュージーランドバージョン。

 

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3人兄弟の末っ子マウイ。

 

まだ幼いので兄達の船には乗せてもらえず、兄達が釣った魚の小さなものを少しだけ分け与えられた。

 

そして、兄たちはおばあさんに魚を分け与えなかった。

 

だから、お腹が空いてもマウイは自分の小さな魚をおばあさんにあげるのだった。

 

意地悪な兄達とは違い、心優しいマウイは「釣り針があれば、おばあさんにお腹いっぱい魚を食べさせてあげられるのに。」としょんぼりする。

 

すると、「(おばあさんの飼っている)"豚の牙"で釣り針を作りなさい。」とおばあさんがアドバイスをした。

 

兄達に内緒で、豚の牙で釣り針作り、こっそり船に隠れて海へ出る。

 

沖に出た頃ひょっこり登場したマウイ。

 

兄達は岸へ引き換えそうとするが、なぜか島が遠ざかるため、仕方なく一緒に釣りをすることした。

 

するとマウイの釣り針に大きな獲物が掛かった!

 

とても3人では引っ張り上げられない。

 

マウイは応援を頼みにひとり島へ戻る。

 

島の人みんなで引っ張り上げてみると...

 

獲物の頭が兄達の乗った船の底を真っ二つにしてしまった。

 

やっとの思い出釣り上げたのは、

大きな魚ではなく、

なんと、島のを釣り上げたのだった。

というお話だ 。

それがニュージーランドの北の島で、『テ・イカ・ア・マウイ』(マウイの魚)と呼ばれている。


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マウイは大喜びで島を釣り上げた『釣り針』を空に投げ、それが空に引っ掛かって釣り針の星の並びになった。

 

おしまい~♪

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次回は、

ポリネシアに伝わる『マウイの釣り針』の星座神話からハワイアンの文化的な背景等を探って行こうと思います。

 

 

またね~☆彡

 

 

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#11鉄瓶とお茶は最高!!ー後編ー

前回(#10)の続きで、

holoholohoi.hatenablog.com

 

『お茶』への想いと『鉄瓶』への想いを綴っていきます。



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緑茶は前回綴った通りだが、

紅茶もトッピング関連(香り付け・ミルク・スパイス・バターなど)が豊富でそれぞれの地域で親しまれているし、

烏龍茶も奥深い。

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『お茶』に思うことは、

 

よくぞこんなに多種多様な飲み方があって、世界各地に広がったなぁという驚きだ。

 

茶葉は軽いから運び易かったとか、長期間でも腐りにくかったんだろうな。

 

お湯があれば、だれでも簡単に大きな失敗なく淹れられるのもよかったのだろう。

 

確かに、商売に向いてそうだよね。


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最初は、皇帝とか貴族の嗜好品だったらしいけれど、

湯を淹れるだけでよい香りを味わえる手軽さは、民衆に流行らないわけがない。汗水流して働く民衆だって、暮らしの中に少しの楽しみは必要だもんね。

今や、水に次いで『お茶』は世界中で広く飲用されている。

 

多くの人の手に渡りながら広がっていった『お茶』。

流行って廃れるものも沢山ある中で、

地域の好みに合うように柔軟に変化しながら、

今もなお、多くの人々の日常の中にアル。

自由度の高さと拡散力と定着力が凄すぎる。

 

個人的に思う『お茶』のすごいところは、

どんなシチュエーションにも空気感を邪魔せずに、一瞬でホッとひと息吐くことができる魔法のような飲み物だということ。

 

1人でも、仲間と集っている時も、家の中でも、職場でも、旅先でも、どんな情景でも。瞬時に緩み、静かに我に還るひと時は、何とも言えない心地良さだ。

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そりゃあ、世界中に広まらない理由はないよ。感服です。

 

 

さて、『お茶』には ”湯” が欠かせない。(水出し茶は別だが)

湯を沸かすための道具が必要で、お茶と共に茶器も広まり、これもまた時代と共に変化しながら今も生活の中に溶け込む。

 

ヤカン、電気ポケット、鍋など湯を沸かす道具は沢山ある。沸けば何でも良いと思う。

 

ホント何でも良いけれど、『鉄瓶』で沸かしたお湯は美味しい。

 

『鉄瓶』日本が誇る伝統工芸品で、海外では色を付けたものが人気らしい。

かなりポップだ。

ヤカンの仲間だと思っていたら、歴史的には江戸時代に茶釜から派生したもので、

ヤカン(薬缶)は古くは中国にあった銚子という加熱器具が派生で、生薬を煮出すのに使っていたらしい。

出所が違うのに、似たような形になるから、

湯を注ぐためのデザインとしては、

釜に口と鉉が付いたものが揺るぎないベストな形なんだろう。

 

『鉄瓶』で沸かしたお湯は、

角が取れて、まろやかで、優しく柔らかい口当たりになる。お茶の香りも邪魔しない感じだ。

鉄瓶自体は重厚感もあって、年々表情が少しずつ変化して行くのも愉しい。

大雑把な私でも取り扱えるくらいだから、そんなに管理も難しくない。

水を入れて、火をかけて、蓋をほんの少しずらしておく。

沸くまでには割りと時間が掛かる。

すぐにお湯が欲しいときには向かないが、

10分くらいの間に他のことをやりつつ気に掛けておけば、そんなに苦じゃない。

 

沸騰してきたら、蓋を開けてしばらく眺める。空気や水の流れとかがお湯の中でしっかり循環している状態(イメージ)を私はしばらく眺めているが、水道水ならこの時にしっかりカルキが飛ぶはず。

 

湯が沸くまでのちょっとした時間。

『鉄瓶』を観ながら じーっと待つこともある。

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”湯を沸かす”って、いつからやっている行動なんだろうか?なんでヒトは湯を沸かしたんだろう?

絶対にこたえが解けない素朴すぎる疑問。

ヒトが、火と土器を使えるようにならないと成り立たない行動。

たぶん最初は、料理のために材料を火にかけたはず。

生食か焼くだけの調理法から、煮炊きが加わって食べられる食材が増えたらしい。でんぷん質のイモ類や木の実なんかもそうらしい。

食べ物が多様になるのって、生物としてみても かなり繁栄する能力が高いなぁと思う。

 

古代の人が、”水を沸かして飲む”のってイメージが薄い。

貴重な水が、蒸発して量が減っちゃうから。

でも、厳しい冬の時期に火にかける物が”水”しかなかったら、暖を取るために白湯を飲むか...。

それで、煮沸殺菌されるから安全な水で、身体も温まりシンプルに臓器に染み渡る感覚も良かったのかもしれない。

 

驚いたのは、

中国の方は、『お茶』より『白湯』をよく飲む文化だということが意外だった。

寒さと、殺菌と、陰陽など伝統医療の考え方と、国の情勢などの背景があって、日常的に『白湯』があるらしい。

日本も貧しかった時代の民衆は、”湯のみ”で『白湯』を飲んでいたとか。

『お茶』一杯の息抜きですら、贅沢とされる時代があったとは、涙が出る。

 

お茶を淹れるまでのちょっとした時間に、少しだけ思いを馳せてみた。

 

 

そうだ。

 

『鉄瓶』の魅力をまだ綴っていない。

 

これは、なんというか、フォルムがすごく好きなのだ。

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2、3歳の頃、保育園にあった砂場のおもちゃにプラスチックだけど茶瓶のような形のものがあった。その形が好きすぎて、お気に入りだったのを覚えている。それで、茶瓶型のおもちゃに砂を詰めて、持ったまま滑り台へ。すごく混み合っていた。ぎゅうぎゅう押されながら頂上へ行って滑る順番を待っていたら、更にぎゅうぎゅう押されて、ついに柵の隙間に押し出され落下した。気付けば茶瓶のおもちゃを持ったまま、地面がそこにあった。茶瓶のおもちゃを離せば良かったのだろうけれど、コレだけは絶対離さない!と思ったんだよね。頑固だ。幼い頃なのに記憶が結構ハッキリあるから面白い。

 

とにかく、物心付く頃にはあの形がすごく好きだった。

 

大人になった今でも変わらない。

 

急須や土瓶やポットやケトルを観るのも楽しい。

 

どストライクな一品。

 

『玉川堂』さんの”湯沸”は、目打ちされた銅製で、ため息が出るくらい美しいく完璧な茶器だ。どれを見ても惚れ惚れする。本当に素敵すぎるし、叶うなら、いつか欲しいとも思う。

 

『玉川堂』さんのも銅器も素敵なのだが、やっぱり鉄瓶も好きなのだ。

 

同じ形なら...

陶磁器製より金属製のもの。

取っ手は上部に付いた”つるすタイプ”のもが好きだ。

程よい丸み。

小さすぎず大きすぎずのサイズ。

暮らしに馴染む黒色とあられ模様。

使うほどに育つ道具。


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ネットで見てると、どれも素敵できりがない。

時間が経つのも忘れて見入ってしまう。

鉄瓶茶瓶シリーズのカタログとかあったらほしい。

なんなら自分で『鉄瓶』を作りたい!と思うくらい好きなのだ。(作れないけれど...)

 

はっきり理由はわからないけれど、

私にとって『鉄瓶』は、それほどの魅力がありつつ、

でもやっぱりナニかよくわからないものなのだ。

 

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『鉄瓶』も『お茶』も深く知ろうとすると果てしないものがあります。

 

それだけ長きに渡り人々の暮らしと共にあったものだから、

奥深さもあり、楽しむ幅も広く、様々な面白さがあるのだなぁと感心しました。

 

が、

 

歴史的文化背景や科学的な見解では論破できないほどに、

『お茶と鉄瓶』に心がわし掴みにされていることは、どうにも説明がつきません。

 

本当に単純に

 

『鉄瓶』も『お茶』も最高だ!!

 

ということです。

 

 

またね☆ミ

 

 

↓その他の好きなものシリーズ編↓

holoholohoi.hatenablog.com

 

 

 

 

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