今回は、ホタルを見て思った事を綴ります。
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梅雨も明けた夏の頃、夜のお出掛けのひとつで ヘイケボタルの観察が例年のイベントになりつつある。
ゲンジボタルは6月頃。もう15年以上前だけど、川の上流の方へ見に行った思い出がある。
蛍光の黄緑色が光っては消え、残光が闇夜に曲線を描く。ピカピカと結構な数が舞っていた。清流の涼しげな音ともに幻想的な景色だったなぁ とぼんやりとした記憶が浮かび上がる。
ヘイケボタルは7月頃が見頃で、
蒸したと暑さの残る夜の湿地で観察する。
昔は田んぼでも見られたらしいけど、人間側の事情で環境も変化してるから、数は減っているようだ。
夜の森は昼と違い木々が迫りくる。結構な迫力だから、草むらがカサッとなっただけで、ウワッ!?と驚くし、足元に細長い影を見ようものなら飛び上がる勢いだ。。普段より五感がかなり鋭く働き警戒状態になっているのだから、まるで肝試しだ。
ドキドキしながら、でも騒がず静かにポイントまでたどり着き、しばらくするとポワンと小さな光が浮かび上がりスーッと消え、気のせいかと思う間に、また光っては消える。
気が付くと辺りにはいくらかホタルが集まっている。
静寂のなかでの光り。闇夜で繰り広げられる小さなインパクト。
しかし、星の輝きとも違い、ずっと不規則で生き物らしくゆらぎ動く。その残光はなんとも儚い。
ひと夏の刹那的なホタルの演舞を見ていると、不思議な空間に居るような...幻想的でもあり情緒的なひと時なのだ。
ホタルの成虫の命は約2週間。儚いなぁ。人間の寿命も地球の歴史からしたら儚いのだけれど。
セミは5年とか10年くらい土の中で、地上に出てからは1週間ちょっとくらいだったような。カブトムシもクワガタも幼虫の期間の方が断然長いよね。。
夏の虫って、徐々にというより、そこに向かってものすごいパワー溜めておいて最後の最後にバンッ!と出しきって終焉な感じが多いのかな?
産卵とか孵化の時期的に考えて命を繋ぐためにそういう戦略を取ったのだろうか。
昆虫事態の一生のサイクルが哺乳類に比べて短いよね。
とにかく。
命あるかぎり 生き抜く。
その時まで、全力で 今を生きることに 全うする。
自然界に生きるものたちにとっては当然で必然なこと。
余計なことは考えないし、持ち合わせないシンプルさ。
潔さすら感じる。強いなぁ。
ところで、
地球上の生き物の大半は季節を巧く利用しながら生きている。というか、命を繋ぐためにそうせざるをえない。
その環境の下で生きることが前提で種が成り立っているから、大きな環境の変化は辛い。
様々な環境問題点が浮き彫りになるなかで、特に温暖化問題は喫緊だ。
昨今、海水温が1℃上昇しただけでも、天候に大きな変化をもたらして、多くの生き物たちの環境に影響がでている。
たったの20年前でも、その頃とは明らかに様子が変わって来ていることは、数字で知るよりも、リアルに肌で感じている。
数字としては小さくても、
地球規模では大きな影響が出ており、種の存続が危ぶまれる動物達もいる。
勿論私達の暮らしも大きく脅かす。
住む土地が沈んでしまったり、深刻な食料問題と飢餓の問題、感染症の猛威などが迫り来る。
逃げようにも宇宙で暮らすことはまだ出来ないし、
もし可能になっても、
多様性を育んだ生命のゆりかごである地球以上に暮らしに適した星はない。
変化する環境への適応は、何代に渡れば対応できるのだろうか。自分が生きているよりもずっと後だろうというのは想像がつく。
そうなると、
適応のための進化より、環境悪化の方が明らかに速いわけで、
つまり、これからは
今以上に、生き抜くのが大変になる。
地球の歴史では何度か危機を迎えているのだけれど、
今この時代に生きている私達にとっては他人事ではないのだ。
国際的にほ、温暖化と真剣に向き合う感じになっているし、
頭の良い人や様々な企業が知恵を振り絞って環境問題に取り組んでいるのは頼もしい。
そして
微力な自分にできることは、防災の備えや環境負荷を減らすことを、できる範囲で継続すること。
0か100ではなくて、1でも2でも可能なレベルで忘れずに続けていく事だ。
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ホタルをみて、生きる事を考えてみました。
未来が地球に棲む全ての生き物にとって 明るいものであれと切に願います。
またね☆ミ