とりわけ役立つわけではないけれども~holoholohoi!~@waiilele北本ロミロミ

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#14『ほどほど』って難しい!でも実はシンプル!?【ロミロミ】

『ほどほどに』

 

なんだか、ぼんやりとした言葉だなぁと思います。

ぼんやりとしてはいますが、暮らしの中においては結構大切だなと感じています。

 

似たニュアンスで、

『ほどよく』『バランス』『調和』『いい加減』

などもありますね。

 

今回は

そんな感じの事は大切だけれど、難しいよね~と思ったら、実はそうでもないのかも!?的な

回りくどいお話しです。

 

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ALOHA~☆


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ハワイでよく交わされる挨拶だ。

 

『ALOHA』というを言葉を5つに分解して、1文字ずつにハワイ語を当てる。

そこには、込められた意味があると言われる。

 

  • A akahi 思いやり 優しさ
  • L lokahi 調和(~の中にしっかりと立つ) ハーモニー
  • O oluolu 心地よさ 感情と思考のバランスを取る
  • H haahaa 謙虚さ
  • A ahonui 忍耐強さ

 

ロハスピリットは、

日本で生きる現代人の私にとっても、親しみやすく響くものだし、

温かみと愛ある考え方がとても好きだ。

 

私としては、異論はないくらい大切なマインドだと思う。

 

自分に対しても、身近な人に対しても、常に心掛けていたい。

 

ただ、どれも身近に体現していくのは結構難しい。

中でも難しいのは、『自分自身の”調和”や”バランス”』かなぁと個人的に思う。


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生きていたら、

身体的にも精神的にも、何度もそれらが肝になる場面に遭遇して、身をもって体験する。バランスや調和がいい感じに取れてきた!と思っても、

また異なる場面がやってきて...の繰り返しだ。

 

自分の中の丁度良い塩梅を理解したつもりでも、毎度毎度、ちょっとした調節や更新が必要になる。

 

そして。人生には 青天の霹靂 もある。

考えも思いもしなかったことがたまに起こるのだ。

そしたら、そんな時は

自分の思いとは関係なく、大きく転換せざるを得ない。
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人生、べた凪ぎの時は良いけど、予想できなかった荒天に見舞われた場合、そこでの『調和』や『バランス』はとんでもなく難しいって事は誰だって想像できる。

 

先人達も『調和』や『バランス』が大切なことを伝えているわけだから、この模索は今に始まったものではない。

ヒトが生きる上での何か大きなポイントとなるもので、時代に関係なく、どんな状況の人々にとっても必要なもなのだろう。

 

そう思うと、自分自身の『調和』や『バランス』を模索し続けるのというのは、人間の本質のひとつなのかもしれない。

 

ただ、言葉で表すと簡単そうでも、じゃぁそれって何なのかと改めて考えると...大切なはずなのに、いまいちボンヤリとしてしまう。

 

それに、大切な感覚ならば、自分で舵を取ってコントロールもできるのだろうかと気になってくる。もしできたら、楽に生きられるようになるのだろうか?

いや。そもそもコントロール出来るものなのか?

 

『ボンヤリ感』を深掘りしたら何か気付くものがあるのかなぁ。

 

『調和』や『バランス』を

もう少し聞き馴染みがある口語的な表現にするなら、

『ほどほど(バランス)』とか『ほどよく(調和)』と言った感じがしっくりくる。

 

「ほどほどにね」「ほどよくね」 

と言われても...う~ん?やっぱりボンヤリと曖昧だ。

 

人と比べても答えはない。

自分自身の中のことだから。

残念ながら、近すぎるのでわかりにくい。

知覚しにくい。更に、誤魔化しも利く。

感情や体調や環境ですぐにゆらぐ。正解なんてないのだ。

 

そう考えると、

『ほどほど』や『ほどよい』の感覚って

本当に存在するのか!?と疑うほど、実態が怪しい。

極めて主観的だから、不安定なも仕方がないものなのか...。

 

でも、なんでだろう。

 

主観的で不安定でも、多分みんな無意識で ”探り続けているもの” である。

 

じゃあ、その感覚の背景には何が隠れているのだろうか?

 

 

『ほどほど』や『ほどよく』を考える上で、切り離せないもの ― 。

 

”偏り”

 

暮らしの中で、

”身心や思考の状態” ”生活スタイル” ”取り巻く環境” ”人間関係” "情報" ”食” など

気付けば”偏り”やすいものが沢山ある。

 

大概は”しすぎる”ことで偏ってしまう気がした。(”やらない”をしすぎるのも偏り)

 

私的には、『常にべた凪ぎな日常』が理想的だけど、

これもまた、”偏りすぎ”れば不調和を引き起こすのだ。

 

文字や言葉に起こしてしまえば、簡単に気付けそうな”偏り”。

 

でも、実際は、

気付かぬうちに ちょっとずつ偏っていく。だから、最初は気付かないか、気付いても気にも留めない。

それを繰り返すと、

ちょっとした違和感には気付くものの、誤魔化しが利くから流してしまう。感覚だから捕まえて確かめようもない。なんとなく、モヤモヤがあるとかスッキリしない程度のものなのだ。

だから多分周囲も気付かない。

 

そんなことを繰り返し、

捕まえきれなかった感覚をハッキリ捕らえ始める頃には、

自分の内側で不調和が増していて、色々と表に吹き出してくる。

こうなると、もう誤魔化せなくなる。


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そこで、今までと同じじゃ立ち行かない事を感知し始め、

大なり小なり(意識的にも無意識的にも)『ほどほど(バランス)』を探り始める。

自分にとっての『ほどよい(調和)』を取り戻すために。

 

そう考えると、

『ほどよい(調和)』感覚=『生きやすい』感覚

=つまり、"生命維持"に欠かせない重要な感覚だ。

 

そうか!"生命維持"か!

 

つまり

”偏り”が大きくなると"生命危機"を感じて、防衛的に無意識で勝手にバランスを取ろうとし始めるし、知覚できれば意識的にバランスを取ることもする。しかも、自分自身の中でバランスが取りきれない場合は、環境や他者も巻き込んで大きくバランスを取ろうとする。

 

"偏り"と"バランス"、そして"調和"。

なんか、スゴイ関係だな。

 

いつでも偏れる私達の生命維持装置として、無意識に様々なものが常にバランスを取りながら、適当に良い所で安定させて生きている。こりゃまた、絶妙だ。

 

 

ところで、今ふと気が付いた。

 

『バランス』や『調和』の感覚がぼんやりしすぎて掴みにくい” と思ったのだけれど、

 

ボンヤリでいい!!むしろそれが大事!

 

だってそうだよね。

 

意識が向くと”偏り”やすくなるわけだから、

むしろ、普段はボンヤリしている感覚くらいで丁度良い。

 

だから、わざわざ意識して舵を取って『コントロール』しようなんて、やりすぎる可能性があるから余計な事なのかもしれない。

舵を取らなきゃならなくなった時に意識するくらいで良いのかも。

 

!?

 

 

結局のところ

ナチュラルに、シンプルに、そのままで。

 

とにかく、自分の感覚に耳を傾けながら過ごせていたら、それでOKなわけかぁ。

 


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なんだ... ふぅ~。

 

 

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自分自身をニュートラルにしていく方法のひとつにオススメなのは

『ロミロミ』や『アロマテラピー』です。

 

”偏り”は、身体に出ます。

 

ロミロミで強ばった心身を緩めて、深い呼吸を取り戻してく。

安心感に包まれると、自分のニュートラルな位置(”ほどよい”)に立ち戻ることができるようになってくると思います。

 

本当に”ロミロミ”は緩むので、おすすめです。


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あ。たまには広報も兼ねて。

 

今回は、『バランス』や『調和』について、頭の中でぐるりと巡ってみました。

 

現時点での、私の思った事なので、また経験や歳を重ねるうちに変化があるのかもしれませんね。そんな変化も柔軟に受け入れて、多角的な見方が出来るようになると、面白く感じるものが格段に増えるだろうなと思います。

 

では、この辺で。

 

またね☆ミ

 

waiilele~あなたに寄り添うロミロミサロン~


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